インバさんちの過去ログ。
大昔のコピー本収録。

 

パジャマと悪魔。

 石田雨竜の気配がバスルームからする。

 茶度泰虎はその存在を意識しながら冷蔵庫を開けた。
 冷え性だと言う雨竜は入浴後でも冷たい飲み物を摂らない。

 そんな恋人のために茶度はペットボトルに入った烏龍茶をグラスに注いだ。
 こうして、なるべく常温に近づけておく。
 その度に自分と全く違う個体の事を考える。

 頑丈な自分の体はシャワーも湯船も湯温は低めで短時間だ。
 それでも浴室から出ると熱くて、コールドドリンクを一気飲みする。

 今もそうだ。
 茶度はペットボトルに残った茶を直に呷り、空にする。
 そんな茶度からすると雨竜は別世界に住む人間の様だ…いや、同じ人間だと思えない時さえある。

 細い体躯、さらさらの髪、白い膚。

 強く触れると壊してしまいそうで、でもずっと触れていたくて、歯止めが利かない。
 奇麗な黒い瞳が自分を見る時、茶度はいつも濁流に飲み込まれる。
 決して抗えない愛しさの渦だ。

「茶度くん、上がったよ」
「あ、ああ」

 涼やかな声がして、雨竜が姿を見せた。
 上気した頬に柔らかな笑みを浮かべている。

 雨竜がお泊まりセットの一つとして持ち込んだパジャマは彼のお手製だ。
 シンプルなデザインが雨竜によく似合っている。

「きれいな水色だな、それ」
「そうかい? あさぎ色より少し薄いんだけど、これくらいがちょうどいいかなって思って」
「よく似合う」

 茶度にほめられた雨竜は嬉しそうに笑いながら、持参した紙袋を手元に引き寄せた。

「君のパジャマも作ってみたんだ」
「俺の…?」
「ああ、気に入るといいんだけど」

 そういって少し遠慮がちに差し出した夜着はネイビーの上下だった。

「でも君は暑がりだからね。タンクトップとハーフパンツも用意したよ」

 からかうような瞳で笑いながら、さらにもう一揃え取り出す。
 二着のパジャマを受け取りながら茶度は言い知れない気持ちになった。

 両手に乗った服の重みが胸を刺す。

「茶度くん?」
「…」
「き、気に入らなかったのかい?」
「違う」

 まるで捧げ持つように服を手に乗せたまま動かなくなった茶度に雨竜が寄り添う。

「茶度くん………」

 覗き込んだ茶度の瞳はうっすらと涙を潤ませていた。
 驚いた雨竜は、一瞬ためらった後、茶度の頬をゆっくりとなぞる。
 そしてそのまま茶度の頭を懐に抱え込み、ぎゅっと抱きしめた。

 まるで幼子をあやす母親のように抱かれ、茶度はさらに切なくなる。

「……初めてだ」
「何がだい?」
「服を作ってもらったのは…」

 茶度がそう言うと雨竜がくすり、と笑った。

「ソウルソサエティでも作っただろう?」
「でもあれはパジャマじゃない」
「? どういう意味?」

 雨竜は首を傾げて聞き返した。

 それまで雨竜に抱かれるだけだった茶度が雨竜の細い腰を掴み、自分の腿の上に引き下ろす。
 そのままゆっくり口づけた。

「ん……」

 フレンチキスをされながら、雨竜が労るように茶度の髪をなでる。
 ひとしきり唇でじゃれあい、二人は見つめ合った。

「ありがとう、石田」
「…うん。気に入ってくれた?」
「ああ」

 茶度の瞳の中にはもう涙はない。反対に雨竜の瞳が潤んでいる。
 その瞳に茶度を気遣う気配がある。

「…メキシコの昔話だが…」
「うん…?」
「恋人にパジャマをプレゼントするのは、夢の中でも一緒にいたいというプロポーズなんだそうだ」
「プ…ッ、プロポ……ズ…?」

 雨竜があっという間に真っ赤になった。

「いや、でも僕は…」
「ああ、偶然なのは分かっている。他にも聞かされた話があってな…。親が子供にパジャマを送るのは夢の中で悪魔に襲われないようにというおまじないなんだそうだ」
「へえ…。いい話だね」

 興味深気にうなづく雨竜を茶度はゆっくり抱きしめた。

「絶対着てくれよ、茶度くん」
「わかった」

 雨竜には言わなかった話がある。
 親からパジャマを贈られなかった子供は、悪魔がいる夢の中から一生出られないというものだ。

 そして茶度は親からパジャマを贈られた事がない。
 五歳のときに死別した茶度の両親は、古着をパジャマ代わりに着せていた。
 気候の良い沖縄ではそれで十分だったし、若い夫婦には経済的余裕がなかった。
 茶度の服はいつも近所の子供のお下がりだった。

 メキシコに移っても決して裕福な生活ではなく、服装にこだわる余地もなかった。

 菓子を貰いに行った教会でパジャマの話を聞かされた時、パジャマをもらえなかったから、こんなにも自分は悪童なんだと納得した。

 悪魔のいる夢に棲む自分---------。
 きっと一生、光の元へは行けない。

 それが自分の運命だと感じた。

「茶度くん?」

 再び黙り込んだ茶度に雨竜はそっと声を掛ける。
 フロ上がりの髪が乾き始め、さらりと流れた。

 夢から茶度を引き上げたのは雨竜だった。
 暗闇の中で不安にもがいていた手を掴み、「慈しむ」という感情を教えてくれた、たった一人の人間。

 祖父や親友も手を差し伸べてくれたけど、それでは埋まりきらなかった大きな心の隙間を雨竜は一瞬で…そう、まるで彼の手芸の技のように、簡単に繕ってくれた。

 茶度は雨竜と出会って自分が救われた事を感じた。
 闇から光へと世界が一変したのだ。

 誰かを守る事で強くあろうとした自分だったが、愛する事でもっと強くなれる事を知った。

 そしてその人がパジャマをくれた。
 だからもう、夢に怯える子供には戻らない。

 茶度が感動に打ち震えていると、腕の中の天使がつぶやいた。

「着てくれないと成立しないんだけど…」
「ん……?」
「パ、パジャマ…のプロポーズ…」

 真っ赤になって睨みつけてくる。
  すぐにその台詞に反応しきれなかった茶度は両頬をぎゅっとつねられた。

「もう! 早く着てくれ。だいたい君はいつもお風呂上がりに裸でうろうろして…。目のやり場に困るんだ、僕は」

 頬を朱に染めたまま、一気にまくしたてる雨竜の小さな腰を抱え上げ、すぐ横のベッドに降ろす。そしてそのまま覆いかぶさった。

「……パジャマは……?」
「後で」
「あ…」

 首筋に舌を這わせながら答え、上まできっちり止まった雨竜のパジャマのボタンを丁寧に外す。

「汚したくないから、後で」
「………うん…」

 脱がせてるのか、愛撫しているのか分からない手を咎める事もなく雨竜は目を閉じた。

「電気…消してくれ」
 無言で照明のリモコンを操作し闇を作ると、茶度は心の中で悪魔に向かって叫んだ。

 もう俺はお前に掴まらない。
 俺には親から貰えなかったパジャマをくれた人がいるから。

 その人と過ごす夢はどこまでも甘美で優しいか…。

 もし悪魔が知らないのなら、次に会った時教えてやろう。

 

 

 夢の中の悪魔は昔の自分の顔をしている。  

 

 

 

 

 

end.  

 

インバさん曰く、「昔話は捏造です」